■ 「保育と人形の会」高田千鶴子さんのアトリエ訪問(1)
高田千鶴子さんとの出会い
高田千鶴子さんは「保育と人形の会」を主宰され、絵本専門士の講座の講師も
なさっています。私は10年以上前に、高田先生の「手ぶくろ人形の制作と人形を
使っての活動」の講習会に参加させていただき、その後も、保育者養成の仕事で、
ずっとお世話になってきました。
当ブログの自己紹介のところで使った写真の、こぶたとさるの手ぶくろ人形も、
高田先生に教えて頂いて作ったものです。
今日は、久しぶりにアトリエにお邪魔して、楽しくお話を伺うことができまし
た。
インタビューの内容は、長年のお仕事や活動のこと、生きるうえでどのようなこ
とを大事にしておられるかという信条、人形を絵本の読み語りに生かすヒントな
どです。
高田千鶴子さんへのインタビュー
――高田先生のお生まれについて教えていただけますか。
高田:1936年、東京生まれです。
その後、戦時中に愛知県に疎開して、東京の人形劇団に入るまでそこで暮らして
いました。
――子どもの頃から、人形に興味をお持ちだったのですか。
高田:特にそういうことはありません。戦中戦後の、貧しい何もない時代の子どもです。
ただ、人形の思い出というと、母が洋裁のプロだったので、お人形なども作って
くれました。
母が人形の顔を描くのにちょっと失敗した時があったけれど、その顔は頭側にし
て見えないように帽子をかぶせ、反対の表側にもう一つきれいな顔を描きました。
だから友だちが来ると、私は、その人形の表の顔だけでなく、人形の帽子をとって
「バーッ」と変な方の顔も見せて、驚かせたんですよ。ちょっと恐くておもしろい
でしょ。世界に二つとないお人形でした(笑い)
子どもの頃、母が縫いものをする手の動きを見ていたので、大人になってから人形
制作をする時にも、役に立ったと思います。
――人形劇を始めたのは、どんなきっかけからでしたか。
高田:1960年に「新劇」という雑誌に松谷みよ子さんご夫妻の主宰する民話と人形劇の
「劇団太郎座」の団員募集が出ていたので、応募したのです。演劇に興味がありま
した。面接を受けたら通ったので、研修を受け、仕事として人形劇をするように
なったのです。ちょうど松谷みよ子さんの書いた、「龍の子太郎」が国際アンデ
ルセン賞を受けたので、人形劇で上演することになり、活気にあふれていました。
その後、私は、太郎座をやめ、友人の「人形劇団」の手伝いやテレビ局での人形
操作の仕事(NHK理科教室)などを続けていました。
――その後もずっと人形劇をなさっていたのですか。
高田:テレビ局での仕事は、続けていました。
結婚して子どもが誕生し、長女が5歳、次女が2歳の頃、ちょうど1970年代に文庫
活動を始めることになりました。きっかけは、井の頭公園の中にあった「くじゃく
文庫」に出会ったこと。石竹光江さんの情熱に大きな刺激を受けました。
私の「子どもの文庫」への夢を語ると、石竹さんはすぐに、「くじゃく文庫」の蔵
書2000冊と書架を全部貸してあげるから、文庫活動をおやりなさい、とおっしゃっ
たのです。
――すごいですね!
高田先生の意欲も積極性も石竹さんの懐の深さも。
高田:ちょうど石竹さんは、博報堂の支援を受けて、キャラバン車で「おはなしきゃらば
ん」の活動を始めようとされているところだったようです。
そこで私は、団地の自治会に文庫活動の話をもってゆき、「つくし文庫」を団地の
集会所でひらくことになりました。
当時は親子読書運動などの児童文化活動が活発だった時代であり、一緒に文庫活動
のできる仲間を募って、勉強会をしながら活動できました。
――「保育と人形の会」も同じ頃に立ち上げたのですか?
高田:文庫活動が動き始めると、出会いが与えられてね・・。
酒本美登里さんや藍順子さんなど、人形制作に優れた力を持った方々、学童クラブ
で文庫活動をしていた先生たちとの出会いもあって、1974年に「保育と人形の会」
を始めました。
――そんなふうに、友だち同士が、お互いの優れたところを認め合って、実際に生かし
合ってこられたところもすばらしいですね!高田先生ご自身も人形劇団で培われた
ものが発揮できるチャンスになったのでしょうか。
高田:人形劇団では、美術の仕事にも携わっていたので、お人形のデザインや立体の人形
についての基本が培われていたのかもしれません。
「保育と人形の会」には、軍手を使った人形が多くありますが、糸はり仕事の得意で
ない人にも作れるように、軍手の指先に綿を詰め、リボンで結んで顔にする「ゆび
ぶた」(10匹こぶた)や「おはながわらった」(花と葉っぱ)などグラブ人形のキッ
トもいろいろとあります。
子どもが作れるような人形や小物なども、考えてきました。
私は、いつも、「困ったら知恵が湧く」と思うんです。だから困ることは、悪いこ
とではない。困ると、何とか解決しようと知恵を働かせたり、工夫したりできるで
しょ。やらないで残念だったと思うより、やって失敗した方がいいと思っています。
私はあまり先の先のことまで心配しないの。いつも出会いがあって、道が開かれて
きたと思うから。だから友だちは皆、先生。その人の持ち味も大事だし、未知な部
分もおもしろいんですよね。
――そうですね。未知な部分は、自分ではなかなか気づかないから、友だちの目で、それを
見つけてもらえるとうれしいですね。
最近、特に興味を持って、なさっていることはありますか。
高田:俳句を作ったり、子どもの歌える歌を作ったり、黒坂黒太郎さんが始めた「コカリ
ナ」を吹いたり・・。何をやっても出会いがあるから、遊ぶように楽しんでいます。
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おしまいに、「ことりん」の実演を見せてくださいました。
「ことりん」の実演については、「高田千鶴子さんのアトリエ訪問」(2)に続きます。