主人公の島田しまおは、もうすぐ22歳です。
子どもの頃から料理することも食べることも大好きだったので、一人前の料理人にな
りたいと、16歳からレストランアカシアで見習いになりました。
真面目な彼は、後輩さえ嫌がる下働きも、一生懸命やりました。
ところが、料理学校の卒業証書がないせいか、料理長は彼をばかにして料理に携わら
せてくれません。いつまでたっても調理場で一番下っ端の役たたずといわれました。
ある時、しまおが落ち込んでいると、だれかが「しんぼう、しんぼう」と声をかけま
す。
声の主は、調理場の流しの下に置かれた「海の館のひらめ」でした。ひらめは、“も
うすぐ調理されてしまうけれど、自分の骨を大事に残しておいて海に返してくれたら、
あなたを一人前の料理人として、ひとり立ちさせてあげる“と言ったのです。
彼はびっくりしましたが、ひらめの言葉を信じ、お客の食事後、お皿に残されたひらめ
の骨をコップの塩水につけて、だいじに保管しました。
その夜、ひらめはしまおに、“調理場でのあなたの働きぶりが、気に入った”と言い
ました。“でも、損ばかりしているような人のいるのが、自分には我慢できませんで
ね”と、言ったのです。
そして、まず店を一軒持つように、しまおに勧めました。しかし、わずかな預金しか
ない彼には、夢のような話に思えました。すると、ひらめは、しまおに今の貯金で交
渉すること。さらに「ぼくには、海の館のひらめがついていますから、決して損は
おかけしません」と伝えるように、教えてくれたのです。
こうして、伝説の「海の館のひらめ」の紹介で思いがけずにお店が手に入ると、ひら
めは、しまおに毎晩、とびきりおいしい料理のレシピを教えました。匂い立つみごと
な料理のおいしいこと!
頑張り屋のしまおは、昼間はレストランアカシアで黙々と働き、夜は自分のお店で調
理実習を重ねて、腕を磨いたのです。
最後にひらめが勧めたのは、お店を出す前に、お嫁さんをもらうことでした。
喫茶店でピアノを弾く「青いひなげし」のような女性との出会いにも、ひらめのアイ
デアが活かされます。
着々と夢を実現していくしまおの姿にも、読者の皆さんは勇気がもらえるでしょう。
さて、伝説の「海の館のひらめ」とは、どんな存在だったのでしょうか。
<随想とまとめ >
この作品は幸運を呼ぶ、「海の館のひらめ」のファンタジーともいえるかもしれませ
ん。しまおの夢の実現に、ひらめは知恵と行動力を惜しみなく与え、彼を導いてくれ
たのです。
そして、しまおの結婚が決まるとこう言いました。
「ひとり立ちしたといっても、まだまだ、たいへんですよ。借金がたくさんあるし、
自力で店を一軒やってゆくとなると、やはり苦労が、つきまといます。
でも、正直に、まじめに働いていけば、きっと、きりぬけられます。それでも、どう
にもならないときは、海の館のひらめのことを思いだしてごらんなさい。わたしは遠
くでちゃんと、あなたたちを、まもっていますから」
長年、上司や仲間にバカにされ、何の後ろ盾もなかった彼には、伝説の「海の館のひ
らめ」の絶大な応援が、どれほど有難かったでしょう。
しかし、ひらめがしまおに声をかけたのは、彼の誠実な人柄がひらめの信頼に足るも
のだったからでした。
ラストシーンで、しまお夫妻は、命を閉じたひらめの骨を海へ返しに行きます。
「何度でも生き返る」と言った「海の館のひらめ」の願いを叶えるためでした。
青い大海原の小舟から、ひらめの骨に「ありがとう」と呼びかける情景には、
胸が熱くなるでしょう。
小さなひらめに全力で敬意と信頼を寄せる、しまおの真摯な姿!
ひらめは、彼に、誠実さと希望を教えてくれる存在でした。
骨は、夢を達成するための大いなる魂を象徴するものかもしれません。
安房直子さんの絵本は当ブログでも63「初雪の降る日」、72「雪窓」、91「うさぎの
くれたバレエシューズ」、137「ひめりんごの木の下で」、168「はるかぜのたいこ」
169「みどりのスキップ」などをご紹介しています。
やさしさと抒情にあふれ、同時に人間の心に潜む不気味な影をも表現する、安房さん
の奥深い作品世界!
私自身も、安房さんの不思議なファンタジーに限りなく魅せられる読者の一人です。