昔、両親のいない貧しい女の子と弟の姉弟が二人で暮らしていました。弟が空腹に泣
いても、姉はどうすることもできません。
そんなある日、二人の前に、じゃがいもの花をくわえた小鳥が飛んできました。ふた
りは、じゃがいもを求めて、小鳥のあとを追いかけて行きます。
すると、村はずれで、ひとりの老婆が“ごはんをあげるよ”と声をかけ、家の中に二
人を招き入れました。
ところが、その老婆は、子どもを襲うアチケという、恐ろしい魔女だったのです。
アケチが弟にナイフを向けたので、姉は魔女に向かって灰を投げ、弟をおぶって一目
散に逃げました。しかし魔女はしつこく追いかけてきます。
すると幸いなことに、次々に出会うコンドルやピューマなどが二人をかくまってくれ
ました。そこでお礼に、姉娘は、これから彼らが飢えることのないようにと、お祈りを
してあげたのです。
ところが、その後、魔女から逃げきれない窮地に陥ったとき、姉が天に祈ると、空か
ら綱がおりてきました。すると彼らを追いかけて、魔女もその綱を登って来たのです。
さて、手に汗にぎる子ども達と魔女との戦い、その結末は、どうなるのでしょうか。
是非、迫力あふれる飯野氏と宇野さんコラボのこの絵本を、最後までお楽しみくださ
い。
深層心理学者C・Gユングによると、グリムの昔話「ヘンゼルとグレーテル」に登場
する魔女や日本の昔話に登場する山んばなどは、母なるもの「グレートマザー」の元
型とも捉えられるようです。グレートマザーとは、母なるものの無意識下のイメージ
であり、子どもを慈しみ育む善母の部分と、子どもを支配し、自立を阻んで死に至ら
しめるような、悪母の両義性を持っているようです。
しかし、昔話の主人公は、グレートマザーとの戦いを経て、自立や自己実現へと向
かうことも考えられます。そのためには、心の無意識の領域での母殺しが必要となる
と論じられてきました。
私自身の心の中にも、内なる悪しきグレートマザーが存在し、子育てにおいて我が子
を苦しめたようです。
最近、娘と口論になった時、娘から「お母さんは、私が子どもの頃、私の人格を否定
するようなことを言ったり、好きな習い事の習字を無理にやめさせたりしたじゃな
い!」と批難されました。「エーッ、だって、墨を磨るのが嫌そうだったから」
と返したものの、書道が好きだったなんて、初めて知ったという、おめでたい母親でし
た。書道塾が苦痛だったのは、本当は子ども時代の私自身だったのかもしれません。
七十歳を越えるまで、娘が本音を言えないほど抑圧してきたのかと反省することし
きりです。一つひとつの場面を思い出すことはできなくても、申し訳なかったと詫
びるしかありませんでした。娘が、悪しきグレートマザーの呪いから解かれ、今から
でも癒しが得られるように祈るばかりです。
ところでこの昔話では、女の子が出会った動物のために、飢餓から守られるように
と、何度も天に祈る場面が登場します。そうした大いなる自然の恵みへの切なる願
いと感謝が、勧善懲悪的な昔話に一層豊かな世界観とぬくもりを加えているように思
います。
じゃがいもはアンデス山脈が原産であり、現代でも人々を飢えから救う貴重な栄養源
になっているそうです。この昔話絵本を通してその由来を知ることができるのも、意
義深いことではないでしょうか。